よく見かけるポスター
トパーズ号で行く 2004年4月4日~7月11日 45回クルーズ
乗船するまで
高校入学頃から父が病気をしていました。
遅くにできた子だったからか、可愛がってもらっていたと思います。国内限定ですが、いろいろなところに行きました。川、海、キャンプなど自然にふれる場所が多かったです。
母方の祖父母と同居していたので、自宅療養中の父は肩身の狭い思いをしていたことでしょう。
優しい父もストレスでこたつを破壊したり、洗面台にひびを入れたこともありました。
そのストレスを受け止めるのは母の仕事。
お金の問題もあります。人生で一番稼げる年齢で、退職するしかなく、子供たちは一番お金のかかる時期。
自宅療養の父と険悪な雰囲気の祖父母を置いて、母は長時間働くわけにもいきません。
お金の問題だけでも解決した方がいいな。と、私は就職。
険悪な雰囲気のお家でしたが、あっさりと終わりはやってきます。
父に余命一年が言い渡されました。
片足を切って車いすでも動けるようになるか、それとも寝たきりか。
どっちを選んでも、余命は変わりません。
せっかくなら、動けた方がいいだろう。犬と散歩した方が家にいるより気が晴れるだろう。
父に余命が告げられることはなく、大手術は行われました。
予定を延長して行われた手術の後、弱音を吐かない父が『いたい、いたい』と、うなされていました。
辛そうでしたが、面会時間もとっくに過ぎているため、私たちは帰りました。
次の日、祖父母がお見舞いに行きました。プリンを食べてたよと。
翌日、父は亡くなりました。
退院してから、どうやって生活していくのか?動けるとはいっても、バリアフリーではないので家での生活も大変なはずです。考えなければならないこと、やらなければいけないことがたくさんありました。
しかし、その必要がなくなってしまいました。
治療費の支払いも必要なくなり、家のローンもなくなりました。
むしろ生命保険が出たので、お小遣いをもらいました。私が働く必要もなくなりました。
やってみたいと思っていた一人暮らしを開始しました。
数か月後、飲み会のトイレで見かけたポスター。
前に母が『地球一周旅行に行ってみたいわ』と言っていたことを思い出し、資料請求してみたら?一緒に行く?と誘ったら『祖父母を置いていけない』と。
母にはまだ仕事が残っていたようです。
縛られていたものが何もなくなった私は、一人暮らしを半年でやめ、一人での乗船を決意!
父の分まで人生楽しまなくっちゃ!!
そして退職し、2004年4月4日乗船です。
晴海港

晴海港を出港したトパーズ号。



東京とお別れ。
どんな世界が待ち受けているのでしょう。
3カ月の船旅、ワクワクドキドキです。
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